2 路線の変更(古市橋−緑井)
軽便鉄道時代の可部線の線路は,古市橋を渡って古市の市街地を経由し,緑井方面へ向かっていた。現在,古市橋という橋は存在せず,この経路の存在を示す廃線跡も残っていないようである。
(2009年11月01日作成)
(a) 古市橋
古市橋という駅の近くに,現在,古市橋という橋は存在しない。かつて,古市橋の駅前(東側)には安川という川が流れており,古市橋はそこに架けられていた
。安川は,大町付近で流れを東から南へ変えていたが,そのためその周辺では大雨に伴う水害に悩まされてきたという。水害を防ぐために,安川は昭和30年につけかえられ,そのまままっすぐ東へ進んで古川へつながるようになった(新安川)。それまでの安川(旧安川)は廃川となり,その河川敷は緑道公園として1998年までに整備された。そのため現在,古市橋という橋は,存在しないのである。
右の画像では,赤丸で囲ったほうに川が流れていた。おおむねガードレールの方向に橋がかかっていたと言える。
軽便鉄道として開業した可部線の線路は,古市橋駅を出ると道路上に敷かれ,古市橋を渡っていたとのこと。可部方面に向うには,いつか必ず安川を渡らなければならない。橋の建設には多額の費用がかかることや,古市橋を渡って古市の市街地中心部を経由すると営業的に有利であることなどが,古市橋を線路が渡った理由ではないかと考えられる。
当時の地形図(1:25,000「祇園」大正14測図)を参照すると,線路が古市橋を渡って古市の市街地へ向かっていることがよくわかる。また,現在の主要な道路である国道183号線(元国道54号線,通称新国道)が存在せず,旧道とよばれる道路がメインの道路であることがわかる。さらに,現在の古市橋駅や大町駅の周辺には大きな集落が見られず,現在,安佐南区役所のあるあたりが古市の市街地であることがわかる。線路がそちらへ向かうのは,ごく自然なことである。
線路は道路上をおよそ400mほど進み,現在の古市交差点(国道183号線との交差点)を少し東に過ぎたあたりで道路を左にそれて北へ進み,水路(八木用水)の東側に沿ってさらに北東へ向かっていることを地形図から読み取ることができる。このあたりの水路は屈曲を繰り返しており,それは当時の地形図にもほぼ同様にあらわされている。大規模な区画整理はおこなわれていないと考えられるので,水路の位置は現在と変わりないのではないだろうか。
(b) 古市駅
古市小学校を過ぎたあたりには「古市駅」が設けられていたことが地形図からわかる。その位置は,およそ右の画像上側のあたり(この画像では水路の左方,保育園のあるあたり)と思われる。当時の地形図で住宅密集地として表現された地域の端にあたり,駅をおくには適切な場所だったのだろう。
線路はさらにまっすぐ北東へ向かう。当時の地形図にはこの位置に道路がなかったので,現在のここにある道が,もしかすると線路が通っていた場所かもしれない。この道は,右の画像下側のように,まっすぐに進んでいる(この画像は,北東側から見たもの)。
古市の市街地を離れると,線路は旧安川の流れに沿うように進路を北に向ける。このあたりからは一帯が農地だったうえに,その後の新安川の開削や高速道路等の開通により,大幅な区画整理がされたものと思われる。
(c) そして,緑井に至る
線路はさらにおよそ1km進んでふたたび進路を北東にとり,緑井駅に至る。進路を北東に変えるあたりには,地形図上に神社が示されている。この神社は,現在の可部線と高速道路(山陽自動車道)が交差するところにあるものと同じであろう。ここから先は,現在と同じ場所を線路が通っているようだ。
古市の市街地より北では,安川がつけかえられたことや,高速道路の建設等があって,当時とは様相が一変しているのだろう。古市橋と可部の間が軽便鉄道として存続したのは1928年までのことであり,時間の経過もあって,廃線跡を彷彿とさせるような小径もみあたらないのが現状である。