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 1 路線の変更(横川−長束)

 横川から長束の区間は,軽便鉄道としての開業後,2回の大幅な路線変更がされている。1回目は,昭和初期の電化ならびに改軌に伴う変更,2回目は,昭和30年代の太田川放水路工事に伴う変更である。
 この区間は,開業時は次のような駅があったとされている。
 横川−松原−新庄橋−長束−下祇園−……

(2001年10月09日作成,2009年10月19日,2013年04月09日修正)

 (a) 松原駅

 軽便鉄道として開業した可部線(当時は国鉄買収前であるが,以下すべて「可部線」として表現する)の横川駅は,地形図(1:25,000「広島」大正14年測図)を参照すると山陽本線横川駅の北側,東方100mの位置にあったようだ。現在,市営アパートのあるあたりに駅があったのだろうか。可部線はこの駅から約100m東に進んで,左に曲がり,北上する。そこは,現在の国道183号線(新国道)あたりの位置になる。路線は,国道線東側の工場付近を通り,さらに国道に並行する感じで北上していったものと想像できる。

 400mほど進んで北西方向に少しカーブし,さらに進むと「松原」駅があった。現在,この付近に松原という地名はなくなっている。「松原」駅は,県道277号古市広島線(いわゆる旧国道)を横川駅から700mほど北上した位置にあったと読み取ることができる。現在の地形図と比較すると,この道はこの当時はすでに存在していた幹線道路であることがわかる。

 1930年1月,電化,路線改良,改軌のために,路線が変更された。
 横川駅が,山陽本線横川駅の北に隣接する位置に移転し,西側へ進路を変更している。「松原」駅は,150mほど北西側に「三滝」駅(これを,旧「三滝」駅と,ここではよぶ)として移転された。ここから先は,軽便鉄道時代の路線をほぼたどっていたことになる。

 (b) 新庄坂

 旧「三滝」駅から,路線は県道277号の西側を北上して,川を渡る。川を渡る地点は,現在のどのあたりに相当するのだろうか。
 この近くには,新庄之宮神社(旧称・熊野神社,通称・新庄の宮)がある(下の地図および右写真参照)。ここは,広島デルタの植生を色濃く残している場所とされている。新庄之宮神社には,夫婦楠とよばれる巨木があり,ご神木の1つとなっている。これは樹齢500年と考えられており,明治以前からずっとこの場所にあったはずである。したがって,地形図上の神社の位置も,変化がないと考えられる。


 そこで新庄之宮神社を基準に,地形図(1:25,000「広島」大正14年測図)を読み取ってみる。すると,軽便鉄道の路線が川を渡った地点は,横川駅の北およそ1.4kmのところ,新庄之宮神社の北西約350mにあたると読み取れる。それは現在の大宮1丁目にあたる,右の写真の付近であると思われる。
 このあたりの太田川放水路の左岸堤防の位置は,当時の土手(自然堤防?)の位置に相当するようだが,土手そのものは太田川放水路の工事のときに大幅に改修がなされていると思われるため,ここで当時のようすをうかがい知ることは困難であろう。なお,当時の土手を登る坂は,軽便鉄道の機関車にとっては登りきることが容易ではない難所だったことが,言い伝えられている。
 土手を登り,橋を渡りきると,新庄橋駅があったようだ。そのあとは,現在と同様の路線につながっていた。地形図から読み取ると,新庄橋駅の位置は,太田川放水路の中央あたりにあったと考えられる。

 (c) 太田川放水路の整備

 1962年10月,太田川放水路の工事に伴って,可部線の路線がふたたび大幅に変更された。
 横川駅から西に進んですぐに太田川放水路を渡り,トンネルをくぐって,三滝寺への参道付近に現在の「三滝」駅がつくられた。そのまま太田川放水路右岸を走り,新しい新庄橋付近で軽便鉄道時代からの路線につながる。
 路線移設当時は,現在の「三滝」駅周辺にはあまり民家が多くなかったように見える。周囲に民家の多かった,旧「三滝」駅をわざわざ移転させた理由は,なんだったのだろうか。

 また,新庄橋駅から安芸長束駅へは,ほぼまっすぐに線路がつながっていたようだが,太田川放水路右岸から少し左にカーブしながらつながるように変更されている。新庄橋駅からの路線との分かれ目は,現在,歩道橋のあるあたりのようで,そこには当時の橋台の跡と思われるものが見られる。それは,走行中の電車からも見える(下の動画の1分11秒あたり)。

 以上のことを,地図にまとめると,下のようになる。

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